このくにのサッカー

澤 穂希 × 賀川 浩

対談風景

対談相手プロフィール

澤 穂希(さわ ほまれ)
(写真右)(写真:中島真)
1978年9月6日、東京都生まれ。府ロクサッカークラブでサッカーをはじめ、1991年に読売サッカークラブ女子・ベレーザに入団。その後、アメリカのチーム、日テレ・ベレーザなどを経て、2011年から2015年にはINAC神戸レオネッサでプレーした。FIFA女子ワールドカップは1995年から2015年までの6大会に出場し、2011年FIFA女子ワールドカップドイツ大会では優勝。個人としても得点王とMVPを獲得した。オリンピックには、1996年のアトランタオリンピックから、準優勝を飾った2012年のロンドンオリンピックまでの4大会に出場。2011年には、国民栄誉賞、FIFA最優秀選手賞を受賞した。

対談の前に

 澤穂希さんは日本女子サッカー界のペレだと私は思っている。そこにいるだけで存在感があり、プレーで試合に貢献した。ここぞというチャンスをつかむときの果敢な飛び込みや、ちょっとヤバいぞという場面に彼女は必ずいた。相手のチャンスをつぶすプレーはどの試合でも、どの局面でも秀逸だった。引退表明からあまり日の遠くない対談は早いテンポで進んでいった。

※この対談は、澤穂希が現役引退後、初めてなでしこジャパンの試合をテレビ中継でゲスト解説した翌日に行われた。(2016年2月29日のリオ五輪アジア最終予選、なでしこジャパンvsオーストラリア戦、1−3で敗戦の翌日)

対談

最後のシュートがヘディングだったのは

賀川:澤さんのことはいろいろなところで書かれているけど、澤さんがどれだけ上手かったかということは誰も書いてないよね。

澤:全然上手くないですよ、ほんとに。

賀川:例えばヘディング。「ヘディングには自信あり」と思うようになったのはいつごろからです?

澤:小さい時も、中学、高校になってもヘディングが苦手で、嫌いだったですし、プロリーグができた時にアメリカに行って、本当に自分のヘディングの出来なさを痛感しました。選手としてのキャリアの後半からは、なでしことかINAC神戸で、ニアサイドの最も危険な場所を任されるようになりましたが、アメリカでは私はもう役立たないという感じでした。「澤はヘディングが得意じゃないから」と、コーナーキックの守備でも前の方に残されたぐらいで、本当にヘディングができなかったんですよ。でもアメリカのチームでやっていくうちに、背の高い、身体能力の高い選手と対戦しなくちゃいけなくなって、そうすると自然に、ヘディングのタイミングや、ボールの落下地点の予測をだんだん習得しました。徐々にヘディングを不得意と思うことがなくなって、ずっとやっていたら右利きでも左利きでもなく「頭利き」ぐらいに頭でボールを扱うことができるようになって、自分のタイミングが身につきました。やっぱりヘディングって教えてもらっても、そのタイミングって本人の感覚でしかわからないから。

賀川:そうやね。ボール出た瞬間の強さや高さを見て「ここ!」というタイミングを瞬時に判断するんやね。

澤:本当に、自分がやってきて経験してきてってという感じだったので、得意だなと思えるようになったのはここ5、6年ですかね。自信持ってできるようになったのは。

賀川:現役選手として最後の公式戦、皇后杯決勝の試合でみせた得点もヘディングでしたし、ワールドカップドイツ大会決勝の、延長後半の同点ゴールもヘディングのつもりで行ったら中途半端な高さだったから足でいったわけでしょ? 僕はあの得点のときに「やっぱりヘディングの上手い人は、空中のボールにとっさにああいうことができるんだなぁ」と思って見てたんです。だからいつごろからできるようになったのかなと思ったんです。釜本なんかは背が高かったのに、高校のころはヘディングはほとんどしてないからね。

澤:背が高いからヘディングが得意とか、背が低いからヘディングが不得意とかじゃなくて、なでしこで自分より身長が低い選手でもヘディングが上手だなと思う人もいるので、やっぱりタイミングなのかなと思います。

賀川:そういえば、つっこんでいってGKとぶつかってこぼれ球を誰かが決めた場面をテレビで見ました。

澤:多分私が高校生の時のアトランタのオリンピックじゃないですか?あのときは今じゃ絶対考えられないですけど、怖さはなかったんですよ。怖いっていうのを経験してなかったから、とっさの判断で突っ込んで行きました。年齢を重ねてからは怖くてあそこに突っ込めなくなりましたね。

ショルダーチャージの名場面

賀川:15、6の時に自分がどんな選手になりたいとか、誰が上手いなとかはありましたか?

澤:私がベレーザ(読売サッカークラブ女子・ベレーザ、現:日テレ・ベレーザ)に入ったのが12歳の時で、大先輩の本田美登里さんや高倉麻子さん、野田朱美さんたち日本代表の中心の選手が近くにいたのでその人たちが目標の選手だったんです。その当時は若手が私ぐらいだったので、お姉さんたちにかわいがってもらって、練習のときとかも一緒にボールを蹴ってもらったりとか。あの人たちにはすごくあこがれてましたね。

賀川:なるほどね。その頃はまだ国際試合なんかもテレビで見られないから、海外の誰それなんていのもなかったね。

澤:中・高校生のころはアメリカ代表のミア・ハム選手が本当にスーパースターでした。あとはミシェル・エイカーズというアメリカ代表の10番をずっとつけていたすごい人がいて、その人たちとはいつ対戦しても、高さもあってテクニックもあって圧倒されましたね。

賀川:大きくて速くてうまい、と。

澤:すべてそろっている人でした。そういうアメリカのスーパースターと対戦してみて、日本代表になりたいとかオリンピック行きたいとかワールドカップ行きたいっていう目標ができました。そのアメリカ代表の選手たちと一緒にプレーしたらどれだけ楽しいんだろうなぁとか、どれだけ自分の力が通用するのか、海外にチャレンジしたいなって思えたんですよね。

賀川:あの時は一人でアメリカに行ったね。海外で一人暮らしなんていうのは平気だった?

澤:そのときはアメリカ人選手のお家にホームステイさせてもらって、そのあとに日本人とアメリカ人の3人で住み始めたんですよ。みんな仕事したり何かしたりでバラバラだったので、一人でいる時間もあったんですけど、意外にちゃんと生活できましたね。ごはんも作って、自分で出かけて。その当時はまだ車もなかったので、バス乗り継いだり路面電車に乗ったり。

賀川:今まで一緒にやってみて「この選手にはちょっとかなわんな」と思ったは選手いますか?

澤:いっぱいいますよ。アメリカ代表の選手はだいたいそうですし、もちろんブラジルのマルタも、フランスの選手も。みんなプレースタイルがそれぞれ違いますから、もちろん自分がここは負けたくないとか負けない部分がありつつも、「本当にうまいな」という選手ばかりです。

賀川:バロンドールの時にマルタとアビー・ワンバックと3人一緒に歩いてたね。マルタなんかを見た時に「私はこの点では負けないぞ」というのはある?

澤:うーん、マルタの左足はすごいけど、マルタには守備では負けないかな、多分(笑)。テクニックや攻撃のスピード、アイディアはマルタって本当にすごいなって思いますよ。

賀川:全体の流れのつかみ方とかは。

澤:つかみ方や戦術理解度は、私の方が絶対マルタより上だと思います(笑)

賀川:2004年の北朝鮮との試合(アテネ五輪アジア最終予選 準決勝)、僕もあの試合を見て女子サッカーファンになったわけですけども、足を怪我して出ていたでしょう?痛い脚を引きずって出場して、いきなり北朝鮮の選手にショルダーチャージをしてボールを奪って、そこから点にはならなかったけどチャンスにつなげましたよね。あのときは意識して「ここで一発かましてやろう」っていう風に思った?

澤:あの時はもう無意識でしたね。本当に自分の膝のことしか考えられなくて、あまり余裕はなかったです。「あの一発でなんとか行けると思った」っていう選手もいました。試合に入るときには相手にガツンと行くところは行くという厳しさとか、そういうプレーは必要だと思っていました。たまたまあの時はそれが勢いよくできましたね。

賀川:それは試合の流れの中で大事なところですね。

澤:ありますね。昨日の試合(リオ五輪アジア最終予選、なでしこジャパンvsオーストラリア戦)も、日本の球際の弱さがすごく目立っていたし、攻めているんだけど、点を取りきれないとか、連携・連動ができていなくて個で動いている感じだったですね。一人でボールを奪えないことは多いんですけど、いい時にはそのこぼれ球をちゃんと拾えていたりします。昨日はそれが向こうのボールになったりしていましたね。

賀川:2人、3人でかかって相手の2人とごちゃごちゃやって、取れたかなと思ったら取られてる。

澤:それで結局、人数は掛けるけれど取れないで、そこから逆サイドに振られたりとかして。

賀川:そこで2人、3人になっても一対一のつもりでガツンと当たって取ってしまえば楽になるのにね。

澤:そうですね。あそこで取り切れる・取り切れないでガラッと試合の流れも変わってくるので、それが昨日は足りなかったと、すごく感じましたね。

賀川:これは言うても仕方ないけど、澤さんが試合の中にいれば、それをみんなに言えるのにね。

澤:いやいや(笑)。でも言わなくても、自分はできることを一所懸命プレーで見せていたほうだったと思うので、そういう選手が一人でも多くいると、見てる選手も自然に自分もやらなきゃいけないという気持ちになると思ってプレーしていました。


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